「これでよし……と! 誤字脱字もチェック終わり! 作品プレビューも、キャプションもばっちり! タグ付けして、早速P支部にアップして、宣伝もポストして……。あ、七瀬さんにもお知らせしなくっちゃ!」
近頃のあめりは絶好調だった。憧れの同人字書き、七瀬に背中を押される形で書き始めた二次創作。心に思い描いていた妄想が形になる喜びに目覚めて以来、彼女は夢中になって執筆に取り組んできた。数千字程度の短編とはいえ、完成させた小説は今日でついに十本目だ。隙間時間を使ってこつこつと書き続けてきた努力の結晶は、何よりもきらきらと輝いて見えた。
とはいえ推しCPであるX×YはまだまだKTG界隈ではマイナーなカップリングだ。その上、同人初心者かつフォロワーも少ない彼女に感想を送ってくれるのは、今のところ七瀬だけ。本音を言えばもっと同士からの反応が欲しいところだ。
「そもそも評価や反応を貰うためには、まず他の人の目に留まって読んでもらわないといけないからな~。今まで短編ばっかり上げてきたし、今度は中編とか長編にも挑戦してみたいなあ。……でも……」
あめりは愛用のノートPCを立ち上げると、テキストエディタを開いた。目に入るのは箇条書きのアイデアに、タイトルをつけたきり放置したデータの数々。彼女はがっくりと肩を落とすと、深い溜息をつく。思いついたシチュエーションやセリフを基に短い作品を書き上げることには慣れてきたものの、長編はまだまだ未知の領域だった。彼女も毎日スマートフォンやPCに向かう度にメモを開いてはみるのだが、頭に浮かんでいた壮大なイメージは「これを書こう」と意気込んだ途端に霧散してしまうのだ。
「え~ん! どうしたらいいんだろう……」
こんな時七瀬さんだったら——と考えたところで、あめりはぶんぶんと首を振る。
「だ、だめだめ! いつまでも七瀬さんに頼ってたら成長できないし、迷惑になっちゃうよ! ここは……」
彼女のとった選択は、先人の知恵を求めてネットの海を検索することだった。サーチエンジンのキーワードに「同人 小説 初心者 長編」と打ち込むと、とあるブログがサジェスト結果に現れた。
「『オリビアの部屋』……? あ! 確かここ、七瀬さんが『創作に詰まった時におすすめですよ』って言ってたブログだ……。TLでも時々リポストされて記事が回ってくるし、何かためになる情報が載ってるかも!」
さっそくブログにアクセスして、画面をスクロールしていく。すると、彼女の悩みにぴったりの記事が目に入った。同人初心者であるという匿名メッセージ投稿者へのアドバイスだ。
『オリビアさん、はじめまして! 私は長年ROM専だった新米字書きです。今ハマっているジャンルの自カプがめちゃくちゃマイナーで、飢えをしのぐためになんとか自分で生産したい、という思いから小説書き始めたのがきっかけでした。短編には慣れてきたのでそろそろ中編や長編を書いてみたいのですが、なかなかうまくいかなくて悩んでいます。長編向けのプロットの立て方など、具体的なアドバイスがもらえたら嬉しいです!』
「あ! この人の悩み、私と似てる! 苦しんでるのが自分だけじゃないんだって思うと、ちょっとホッとするな……」
あめりは一人で頷きながらも、ブログを読み続ける。質問者からの相談メッセージに対して労りのメッセージを添えながらも、ブログの管理人は自論に加えて、読者から届いたアドバイスも同時に掲載していた。
『相談者さん、オリビアさん、こんにちは! 私も字書きです。マイナーカプ、ジャンルの苦しみ、すごくよく分かります! 私が二次創作の小説を書き始めた頃の話ですが、ひとつのアイデアを必ず書き切ること、毎日八〇〇字を書くことを意識して練習していました……少しでも参考になれば幸いです』
「え……ええ~? 毎日八〇〇字? そ、それってお仕事がある日や体調が悪い日でも書くってこと……? そんなの私には絶対無理だよ~!」
ブログの管理人もこの回答者に対して『毎日書く習慣だなんて、とても素晴らしいですわ』と太鼓判を押しているが、こんなことができる人間は超人か、才能の塊のどちらかに違いない。そう結論付けたあめりは早速頭を抱えてしまった。
——凄すぎて参考にならない。
「レベル高すぎるよ~。も、もっと他に私でも真似できそうなことないかな……?」
さらに記事を読み進めていくと、『時には気分転換やインプットも大事』という項目に差し掛かった。
『それでもどうしてもネタが浮かばない、アウトプットが難しい……。そんな時は決して無理をせず、ちょっとお休みしてはいかがかしら? 映画を見たりゲームをしたり、漫画や小説を読んだり、美術館へ足を運んだりすることもオススメでしてよ』
「インプットかあ……そういえば七瀬さんも前に『自分なりに小説や映画の感想をまとめるノートを作ってる』って言ってたっけ……」
思い返せば七瀬はもちろん、彼女が数々のジャンルを通して出会ってきた「神」たちは、誰しもが桁違いの語彙力と、様々な分野に渡る深い知識を併せ持っていた。
「そっか……だから七瀬さんたちはあんなに素敵な作品を書けるんだ! やっぱりインプットも大事ってことだよね。それに、これだったら私にもチャレンジできそう!」
善は急げだ。あめりは鞄と財布を手にすると、すぐさま地元で一番大きい本屋へと突撃した。どこを見ても本、本、そして本。カラフルな背表紙が所狭しと並ぶ様はやはり圧巻だ。普段の彼女なら新刊の漫画や雑誌のコーナーにだけ立ち寄って帰るところだが、今日は違う。商業BLからベストセラー作家の新作、誰もが名前を知っている文豪の傑作選まで、店内の隅々をチェックして回ると、大量の本を抱えて会計カウンターに並んだ。
「これお願いします!」
「は、はい……。えーと、ニ十点のお買い上げで、三万円になりますが……」
「支払い、カードで!」
「あ、ありがとうございました~……」
フォローしている同人作家たちが名前を挙げていた本を軒並み買い揃えたのはよかったが、両腕がずしりと重い。持ち手の紐が掌に食い込み、紙袋は今にも底が抜けそうだ。息を切らし、よたよたと歩きながら、あめりはふと自問する——そもそも冷静に考えれば電子書籍という手もあったのではないか?
「い、いやいや、こういう時は形から入るのが大事だし! みんなもよく『紙の本が最強』って言ってるし……!」
自分を納得させるように呟きながら、彼女はようやく我が家へと帰宅する。本屋から自宅に往復しただけだというのに、すでに一時間以上が経っていた。疲労でくたくたになりながらもすぐに本を紙袋から出し、机に並べ読書に没頭する。
そう、するはずだった。彼女が今手にしているのは、とある新人女流作家による小説だ。プロローグが終わるところで、早くも挫折感があめりに襲い掛かる。
「ど……どうしよう……。どこが面白いのかが全然わからない……」
同人女たちが十割くらい僻みや妬みから言う類いのアレではない。純粋に分からないのだ。ニュースで毎年報道されるような名誉ある賞をもらった作品なのだから「絶対にすごい」はず。しかしなぜ、どこが、どう面白いのかがまったく分からないのだ。
まず挿絵がない。よって登場人物が誰なのかが把握しきれない。頭の中にイメージが浮かばない。下手したら一章読むごとに「この人誰だっけ?」が発生する始末だった。これではストーリーを追うどころでない。
「よ……読むのが辛いよ~! 途中で眠くなるし、な、なにより……」
萌えがない。これに尽きるのだ。
「あんなに二次創作の小説はすらすら読めるのにどうして……?」
机の上はただでさえ推しのアクリルスタンドや概念グッズやらでひしめき合っているというのに、今や薄くない本まで山積みだった。途方に暮れる彼女だったが、もう後へ退くことはできない。いや、退きたくなかったのだ。
「だ、ダメだここで諦めちゃ! 毎日八〇〇字書くのは無理でも読書なら出来る、って始めたんだから! それにレベルアップを目指すには、これくらいやらなきゃ……」
あめりは決死の形相で再び本を開き、強烈な眠気と戦いながら、活字をひたすら読み進めていった。
***
あめりが「インプット大作戦」の傍らに同人小説を書き続けて、一か月あまり経った日のことだった。
「う……嘘? ブクマが二桁もついてる!」
なんと彼女がP支部にアップした前後編からなるX×Yの小説が、初めて十人以上からのブックマークを獲得したのだ。それだけではない。彼女は自分の作品の詳細情報を見て驚愕した。
「コメントとスタンプまでついてる! は、はわわわ……」
興奮のあまり心臓がどきどきと音を立てる。何かの間違いか、夢ではないだろうか。彼女は自身のユーザーページを何度も行ったり来たりして、スタンプと共についたコメントを凝視した。
『XくんもYくんもめ~っちゃ可愛いです! 純真で素直なXくんと、不器用なYくんのそれぞれの愛情表現の違いがたまりません! 特に最後に二人がドキドキしながら海辺で初めてキスするシーンが最高でした!』
たった数行の簡潔なコメント。それでも胸がぐっと熱くなる。その日の晩、彼女は早速通話アプリを通して、七瀬に努力の成果を報告していた。
「聞いてください! 私……私、はじめて七瀬さん以外からコメントをもらったんです!」
「わ~、すごい! 今回のお話もめっちゃ良かったですもんね! 読み応えのあるボリュームだったし、二人がレッスンや学校生活を通して仲良くなって、お互い意識するようになってって過程が萌えるし……で、両片思い故のすれ違いがエモ過ぎるっていうか……」
画面越しに七瀬の純粋な興奮が伝わってくる。彼女の評価は絶賛の嵐で、あめりの頭は嬉しさで爆発しそうになった。
——しかしこの成功体験が呪縛になるとは、彼女は想像さえしていなかった。
***
「うーん、次はどんなお話にしようかな? あのネタはこの間もう書いたしなあ……。これは……ううん、駄目。また似たような展開になりそう」
あめりが同人字書きとしてのレベルアップを目指し始めてから、更に三か月。当初の予定では今頃、毎分毎秒推しCPの作品を量産しているはずだった。しかし現実は理想とは程遠い。小説はおろか、Xにアップできる程度の短文さえ書くこともままならない日々が続いていた。彼女は所謂スランプに陥っていたのだ。
停滞した状態からなんとか抜け出そう、前に進もう、と焦れば焦るほどますます泥沼に嵌まっていく。じっくり温めていたネタに限って界隈の神字書きの作品と丸被りだったり、会心の表現が出来たと思ったら、それもまた別の作品の台詞に酷似していたり。以前読んだブログのアドバイスにもあった通り、休憩が必要なのだと、彼女も頭では分かっていた。しかし何も書かない自分に罪悪感を覚えてしまい、結局机に向かってしまう。そしてテキストエディタを開いて一行書いては消し、一行書いては消しを繰り返し、ますます自信を失うという悪循環だ。
自分の作品は何を書いても誰かの劣化コピーなのではないだろうか——そんなネガティブな考えが彼女の頭の片隅に巣くい始めていた。
「……やっぱり、私に二次創作なんて無理だったのかな……」
すっかり創作活動に行き詰まり、XやP支部での更新も途絶えがちになった、そんなある日のことだ。XのタイムラインにKTGが劇場版アニメを上映するという話題が上がり、「#劇場版KTG」のハッシュタグがトレンド入りを果たしたのだ。KTG公式アカウント、及び公式ウェブサイトの情報によれば、来場者にランダム封入の特典と限定アイテムの引き換えコードを配布、またゲーム本編に先駆けて劇場で新曲を発表と謳っている。その他、劇場販売グッズの先行販売、ポップアップショップのお知らせなどが続き、TLは一気にお祭り状態になった。
『やばい、供給過多で死ぬ』
『推しが大画面に映るとか胸熱』
歓喜に沸き立つツイートやファンアート、コラボカフェでの推し活報告、ガチャ結果のスクリーンショット。連日、TLに洪水のように流れてくる情報。公開日までのカウントダウンが続き、ますます盛り上がるファンたちをよそに、あめりの心は沈んだままだった。
「KTGの映画かあ……。今の私が見ても楽しめるのかな……」
あめりが真っ白のテキストエディタを見つめて呟いた時だった。脇に置いてあったスマートフォンが震える。慌てて手に取ると、Xからの通知が画面に表示されていた。
「何だろう?」
通知をタップすると、DMが届いている。
『あめりさん、お久しぶりです! 急で申し訳ないんですけど、今夜通話できたりとかしませんか?』
「七瀬さんだ……」
あめりは躊躇した。今の自分が七瀬と話をしても、彼女にとって無駄な時間になってしまうのではないか、と。それでも結局、彼女は七瀬との通話に応じることにした。
挨拶を交わした直後から、七瀬は明らかに興奮していた。どうやら話とは、先程TLでも話題になっていた劇場版のチケットのことのようだ。
「情報見た瞬間『絶対あめりさんと一緒に見たい!』ってなって……。き、気づいたら手が勝手に……! ほんっと、予定も聞かずにごめんなさい……、無理なら全然大丈夫なので!」
「無理じゃないですよ、むしろ嬉しいです!」
嘘だった。あめりは先の見えないトンネルの中で、漠然とした不安を感じていたのだ。だが七瀬からの誘いを断れるはずもない。それに彼女と直接会うことで、この心の靄も晴れるのではないかと、淡い期待を抱いていたのも事実だった。
「ありがとうございます! それと実は……」
***
「えっと、確かここでいいんだよね……」
乙女の聖地、池袋に降り立ったあめりは、周囲をきょろきょろと見渡した。待ち合わせ場所に指定された公園の近くには映画館やショッピングモールの他、大型アニメショップの本店や中古グッズの取り扱い店がある。ずらりと並んだ缶バッジが目を引く、いわゆる「痛バ」で完全武装した女性もあちこちで闊歩していた。中でも目に付くのはやはりKTGグッズを身に着けたファンたちだ。
ショルダーバッグにぶら下がるXとYのマスコットをぎゅっと握り締めているうちに、あめりを呼ぶ七瀬の声が聞こえてくる。
「あー、いたいた、あめりさーん! お久しぶりです! お待たせしてすみません」
「あ、いえ……私も今ちょうど来たところです! えっと……そちらの方が……?」
「はい、こちら私のバイト先の先輩の……」
あめりは七瀬の隣に立つ若い女性を見つめる。赤いメッシュを入れた派手な髪色に、耳に開けたピアスが目立つ。黒いパーカーにダメージジーンズ、そして所々汚れたスニーカーを履いた、ラフな格好だ。あめりが挨拶をしようとする前に、彼女の方が先に口を開いた。
「ども、こんちは~。九条っていいます。あめりさんだっけ? 七瀬ちゃんから聞いてるよ。よろしくね~」
「こちらこそ! 七瀬さんの先輩なら大歓迎ですよ!」
「いや~、推しの晴れ舞台のためにバイト代奮発してプレミアムシート選んだのはいいんですけど、間違えて三人分買っちゃって……。なんか妙に値段高いけどプレミアムって言うくらいだからこんなもんなのかなって思って、全然気付かなくて……」
「またまた~。そんなこと言って本当は私と来たかったんでしょ七瀬ちゃんは。ほんとツンデレなんだからさ~」
「ちょっと、誰がツンデレですか誰が。……ふう。ひとまず全員揃いましたし、よければ映画が始まるまでちょっとお茶しませんか?」
七瀬の提案で、三人は近くの喫茶店へ向かった。レトロで落ち着いた雰囲気を売りにした、ちょっぴり高級志向のチェーン店だ。古びたテナントに入っているせいか、建物の中は薄暗く、煙草の匂いが染み付いている。しかしそれがかえって落ち着いた雰囲気を演出しており、ほどよく空いた店内からは、食器がカチャカチャ鳴る音が微かに聞こえてきた。
「いらっしゃいませ、三名様ですね? ただいまご案内いたします。禁煙席と喫煙席、どちらになさいますか?」
「あ、じゃあ喫煙席……」
「いや、禁煙席でお願いします!」
しれっと喫煙席を選ぼうとする九条を、七瀬は慌てて止める。
「はあ〜? なんで? いいじゃん別に!」
「いや、なんでじゃないですよ! あめりさんもいるんだし、ちょっとくらい我慢してくださいってば!」
「え〜……なんか七瀬ちゃん、今日いつにも増して私への対応が塩じゃね……?」
九条は口を尖らせてあからさまに不服そうだったが、結局七瀬の言葉に従った。案内されたのは店の奥にある、やや広めのテーブルだ。注文を済ませると、すぐにコーヒーと紅茶、ケーキのセットがテーブルへとやって来る。
「あれ? 九条さんコーヒーだけですか?」
「それが……今ガチでヤバいくらい金欠でさあ……。ホントは私もケーキとか頼みたいんだけど……。ねー七瀬ちゃん、そのアップルパイ一口くれたりしない……?」
「まあ別にいいですけど……。九条さんの場合は毎回極道入稿して割増料金を払ってるからお金が無いのでは……」
「はい、事実陳列罪」
苦言を呈しながらもアップルパイを分けているところを見ると、なんだかんだで七瀬も九条に対しては甘いのだろう。あめりの目には二人のやりとりは微笑ましく、また少しだけ眩しかった。
「極道入稿……ってことは、ひょっとして九条さんも同人されてるんですか?」
「うん、そーだよ。今ちょうど次の新刊のネーム考えてるとこなんだけど……あ、ごめんね! ちょっとスマホ触るわ」
あめりの質問に答える間にも何かを思いついたのか、彼女はスマートフォンをタップしてメモをとり始めた。その横顔は活き活きとしていて、瞳は情熱できらめいている。ほんの少し前までは、あめりも彼女のようなモチベーションでいっぱいで、創作活動が楽しかった。しかし今は——。
三人の話題は九条の財政状況から始まり、自然と各々の同人活動へとシフトしていった。七瀬やあめりと違い、彼女はイラストや漫画をメインに製作しているということだったが、抱えている悩みは同じだった。活動しているジャンルでの人間関係。、いいねやブックマークの数。他の作品とのアイデアやシチュエーション被り——。
「七瀬ちゃんは真面目だなー、気にしすぎだって。推しカプの初夜なんてなんぼあってもいいんだよ」
「ちょ、ちょっと九条さん、声が大きいですよ、……ってあめりさん、どうしました? もしかして気分が悪いとか? いったん外に……」
俯くあめりに気付いた七瀬が、彼女の顔を覗き込む。
「い、いえ、違います! その、ちょっと悩み事があって」
「悩み事?」
うっかり口を滑らせてしまったことに気付き、あめりは真っ赤になった。「別に大したことじゃないんです」と言ったものの、七瀬はますます心配するばかりで、九条に至っては「なになに? 聞かせてみなよ~」と興味津々だ。観念したあめりは思い切って彼女たちに悩みを打ち明けることにした。
「すみません、でもこんなことをお話しできるの、七瀬さんくらいしか……」
「いいんですよ、むしろ頼ってくださって嬉しいです! 私で良ければいくらでも聞きますよ! それにあめりさんだってこの間、私の悩みを聞いてくれたじゃないですか」
「なるほどねー。やっぱさ、『勉強しよう』って思ってると苦しいよ〜。楽しんでやるのが一番だって。私もずっと前に絵の教本とか解剖学の本買ったけどそれだけで満足しちゃってさー。ガチで一ページも読んでねえし部屋の隅っこで埃被ってるもん」
「あっ……なんかそれめっちゃ目に浮かびます……って、もうこんな時間? 九条さん、あめりさん、そろそろ行かないと映画始まりそうですよ!」
三人は会計を済ませて店を後にすると、まっすぐ劇場へと歩き始めた。映画館の中へと入ると、右も左もKTGのグッズを身に着けた女性ばかりだ。館内はかなり混雑しており、グッズショップや売店には人でいっぱいだ。おまけに開場前だというのに、ポップコーンやドリンクを手にしたファンたちがゲートに列を成している。
会場を告げるアナウンスの後、あめりたちもチケットに印刷されたQRコードをかざし、入場特典を受け取る。上映前のCMが流れている最中にも、七瀬は銀色のブラインドパッケージを握りしめて必死に「推しよ出ろ」と祈りを捧げている。あめりがスマートフォンの電源を切り、そっとバッグにしまうと同時に、映画が始まった。
物語やキャラクター設定はゲームの世界観に沿って忠実に再現しているが、今回は映画ならではのオリジナルシナリオを展開をするようだ。今まではスマートフォンの小さい画面の中、立ち絵とシナリオのテキストから想像するしかなかった世界が、有名なアニメ制作スタジオが手掛ける美麗な作画で鮮やかに彩られていく。誰もが画面に釘付けになっている。物語のスポットライトを浴びるのは、いつも無愛想で、どこか影のあるY。そんな彼がはじめのうちは周囲に弱みを見せまいと一人で孤独に奮闘しながらも、学園生活を通してZやXといった信頼できる仲間たちと出会い、互いに支え合って成長していく。いつしかあめりは、そんな彼の姿に自分を重ねていた。
そしてクライマックスを迎えた瞬間、とうとう彼女の涙腺は限界に達した。
——この歌詞私のことだ……。
視界が滲んでぼやける。それでも彼女は必死だった。推しの雄姿をしっかりと目に焼き付けようと。エンドロールが終わって劇場内が明るくなる頃には、あめりの顔はぐしゃぐしゃになっていた。
***
「いや~、映画ほんっとうに最高でした! あと十回は見たい! 応援上映も行きたい!」
「私も、最後の方はもう涙ボロボロで……何も見えないくらいで……特にあのシーンで出てきた台詞が……」
「え……そんなの気づきませんでした! 九条さんは?」
「いや、私も全然だよ」
「もしかして……そこに気づいたの、あめりさんだけじゃないですか? すごい!」
七瀬の驚きと称賛の混じった表情に、あめりははっとした。
——今この瞬間、自分にしか書けない何かがある。
頭の中に散らばっていたピースが、ひとつずつ嵌まっていく。伝えたい言葉が溢れ出す。いてもたってもいられなくなった彼女は、七瀬たちに頭を下げると、駅に向かって走り始めた。こみ上げる想いを、今すぐにでも形にしたいという衝動に突き動かされて。
「すいません、お二人とも、今日はありがとうございました! 私、帰ります!」
「え、ええっ?」
「どうしてもやらなくちゃいけないことがあるんです!」
風のように走り去り、瞬く間に小さくなっていくあめりの背中を七瀬はずっと見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「あめりさん、どうしたんでしょう……? あんなに急いで……」
「そんなもん決まってるじゃん。あめりさんは自分のすべきことを見つけたのさ……」
「いや、何であなたがドヤ顔してるんですか」
***
一夜明け、あめりのアップした小説はKTGファンの間で大反響を呼んだ。映画の後日談を描いた内容で、メインのカップリングはもちろんX×Yだ。とはいえ、ほぼすべてのキャラクターが登場するため、結果として幅広い読者層から支持を得たのだ。
先日見た映画の感想会を兼ねた通話であめりからの報告を聞きながら、七瀬はうんうんと頷いた。
「あめりさんの頑張り、やっぱり無駄じゃなかったんですよ!」
「はい! いつか憧れの七瀬さんみたいに、素敵な小説を書けるように頑張ります」
「そ、そんな……。もうとっくに書けてますよ! むしろ私の方が見習わないとって感じです」
ヘッドホン越しのあめりの声ははつらつとしていて、数か月に渡った悩みはすっかり消えたようだった。これから先、同人活動を続ける限り、彼女はまた幾度も壁にぶつかるだろうであろう。でも、あの映画での感動を思い出せば。この作品を読めば。必ず、絶対に乗り越えられる。七瀬はそう確信していた。
「あ……そろそろ遅くなってきましたし、今日はここでお開きにしましょうか?」
「そうですね……。七瀬さんもこんな時間まで付き合ってくださってありがとうございます。お疲れ様でした~、おやすみなさい!」
時刻はすでに午後十時を過ぎている。名残惜しさを感じつつも通話を切り上げると、七瀬はぐっと伸びをした。
「うーん、憧れか〜……。私も綾城さんに言ってみたいな〜! キャー!」
この日、深夜になるまで七瀬の妄想が大暴走していたことなど、あめりは知る由もないだろう。
あとがき
ずーっと書きたかったあめりさんメインのお話でした!たまきさんと好野に続いて、ROM専、読み専から書き手になった三人目のキャラですね! 私も二次創作まともに始めたのが遅かったので親近感めちゃ沸きです。語彙力に欠ける妄想とか萌えツイートをするしかないというのがすげー身に覚えがあり過ぎて……。
あめりさんもうマジのマジで存在が「光」過ぎて、七瀬と一緒にマジで激推しです……。あと可愛い。
七瀬はここ最近になるまでストイックに創作に一人で打ち込んでいるタイプのキャラだったので、あめりさんや葛峰さんといった友人に恵まれるようになって本当によかったな~って思います。
ちなみにオリビアお嬢様がブログを書いてるのは完全に捏造だし、同人お嬢様がジャン神のユニバースと繋がっているのかはまだ謎に包まれている(ちくわの銀次らしきアイコンがイクラ丼ちゃんの同人女相関図に出てくるくらい)なのですが、実際に同人Tipsを書いているお嬢様ブログって存在しているので、それをイメージというかリスペクトして書かせていただきました。