『海軍提督だったシャドウが仲間に裏切られた上に海賊になってしまったので自暴自棄になるけど奴隷船から救い出したナックルズを見初める話』

各エピソード一覧。長くなってきたら纏め直すかも。内容は随時加筆、及び修正していきます。(クリックで飛びます)
なお、特に重要なキャラクターの死や性的描写を含むエピソードには☆マークをつけています。

 分厚い雲が夜空を覆う中、一隻の船が猛スピードで海上を突き進んでいた。乗組員はみな日焼けした屈強な男たちで、腰には短剣を差し、中には腕や脚に入墨をしている者さえいる。近頃この海域で略奪行為に勤しんでいた海賊たちだ。
 彼らはそれぞれの持ち場につきながらも、時折互いの顔を不安そうに見合わせている。
「なあ。あの噂、やっぱり本当なのか?」
「噂って?」
「おい、静かにしろよ。それに『幽霊船』だなんてタダの与太話だろ。まさか本気にしてるのか?」
「いや、オレの聞いた話じゃ、幽霊船よりもっと恐ろしい『何か』がいるんだとさ……」
 乗組員たちはごくりと唾を飲みこんだ。張り詰めた空気の中、甲板には三角帽子を被った船長が仁王立ちしている。彼はしばらくの間乗組員たちに指示を与えていたが、やがて苛立ちも露に声を荒げると、舵手の胸ぐらに掴みかかった。
「もっと速く進め! 飛ばすんだ!」
「そうは言っても、これ以上は……」
「手前は耳が聞こえねえのか? オレが『飛ばせ』と言ったら飛ばすんだ、このボンクラが。さもなきゃオレたちは……」
 船長が何かに怯えながら後ろを振り向いた、その時である。
 雲の切れ間から月が顔を出すと共に、巨大な漆黒の船が姿を現した。鯨にも似た船体が軋む音は、まるで彼らを嘲笑っているかのようだ。帆に描かれた不吉な眼が潮風を受けるたびにギョロギョロと蠢き、今宵の獲物を見下ろしている。
「ブラックドゥーム号……」
 顔面蒼白となった船長はそれだけ呟くと、すぐさま舵手を突き飛ばした。
「うわあ!」
「どけ! オレがやる! くそ、こんな所でくたばってたまるか!」
 舵を握る手はわなわなと震え、たくわえた髭や縺れた毛皮からは汗が滴り落ちる。
——死にたくない。
 生への執着が彼の頭を支配する。しかしそんな願いも虚しく、二隻の間の距離はじりじりと縮まっていく。仔羊を狙う狼の脅威は少しずつ、だが着実に迫っていた。
 大海原の真ん中では、逃げ場などないも同然だ。忌まわしい怪物はどこまでも船に付き纏い、焦りと恐怖とが正常な思考を彼から奪っていく。次第に船は進路を見失い、とうとう蛇行を繰り返し始めた。
「哀れだな」
 ブラックドゥーム号のマスト、その先端に一つの影があった。漆黒の毛皮を持つ、若いハリネズミだ。臙脂色の帽子には純白の羽飾りが付いており、裾が擦り切れた外套が翻る様は悪魔の翼を思わせた。彼は冷徹な瞳で逃げ惑う船を一瞥すると、音も無く柱を滑り、乗組員が待機する甲板へと舞い降りた。
「船長。奴らどういたしますか?」
「どてっ腹を狙え。……少々風通しをよくしてやろうじゃないか」
 簡潔で、無駄のない命令。彼の忠実な部下は薄っすらと笑みを浮かべると、乗組員に向かって怒号を張り上げる。
「撃て! 船体を狙うんだ!」
 轟音が響き渡り、大砲が甲板を吹き飛ばした。煙と共に木片が四方八方に飛び散り、着弾の衝撃で何人かが海に投げ出される。無慈悲で正確な砲撃は続けざまに船を襲い、敵船の乗組員たちからは悲鳴が上がった。
「船長、右舷から浸水が!」
「分かりきったことでいちいち騒ぐんじゃねえ! この役立たずが! まだ息をしている連中を集めろ! 桶で水を掻き出すんだ! 急げ! さっさとしろ!」
 船長はもはや我を忘れていた。乗組員たちもせっせと水を掻き出してはいるものの、いよいよすすり泣き出す始末だ。そんな絶望的な状況を、ブラックドゥーム号の船員たちはみなニヤニヤとしながら眺めていた。誰もが船から身を乗り出し、船長の命令を今か今かと待ち望んでいる。
「——あとはお前たちの好きにしろ」
 彼の一言を合図に、飢えた獣たちが次々と船に押し寄せる。ある者は目に付いた積み荷を片端から漁り、またある者は命乞いする乗組員を無残に切り捨てた。難を逃れようと船から飛び降りた者には銃弾の雨を浴びせ、血の泡を吹いて海の底に沈んでいく様を指差して笑った。
 暴力と狂乱の嵐は一晩中続き、あとに残されたのはさざ波の音だけだ。ブラックドゥーム号の船長、シャドウの瞳は、朝日の中で燃え盛り、徐々に傾いていく船を静かに映していた。



続け。(願望)(2024.11.26)

 海賊船にテーブルマナーは存在しない。あるのはこの世の全てを喰らわんとする、動物じみた原始的な欲望のみだ。
 昨夜の勝利にブラックドゥーム号の甲板は沸き立っていた。乗組員たちは肩を組んで歌い、彼らの前には次から次へと料理が運びこまれてくる。丸田で作られた無骨なテーブルは筏に脚が生えただけの代物だったが、そんな些細なことを気に留めるものなど、ここには誰もいなかった。
 レモンを添え、ハーブをふんだんに使った白身魚のソテーに、肉汁が滴り胡椒の香るステーキ。生ハムの原木。脈打つ心臓のように輝く柘榴。黒真珠にも勝るほど艷やかなキャビア。食卓の上はさながら極彩色のキャンバスだ。船が夕陽に照らされる中、男たちは早くも祝杯を挙げ、赤ら顔でワインやラム酒を飲み交わし始めている。夜が更けるにつれ、陽気な宴は盛り上がる一方だった。アコーディオンやギター、手拍子の音が鳴る中、乗組員たちはテーブルの上で腕相撲を始めたり、イカサマありきのポーカーに興じたりしていた。
「まったく昨日は最高だったな!」
「おう。これも全部我らが船長のおかげってわけだ」
「ガハハ、違いねえ。船長様様だ」
シャドウ万歳All Hail Shadow!」
シャドウ万歳。シャドウ万歳。
 船長を賛美する声が甲板に木霊する。しかしテーブルの上座で一際豪奢な椅子に座っている当の本人にとっては、何もかもがただ虚しいだけだった。
 結局のところ、彼らは互いを利用しているに過ぎない。乗組員たちは己の欲望を満たすために。そしてシャドウは復讐のために。
 料理にはほとんど手をつけないまま、ワインボトルと傍らに置いてあったヴァイオリンを掴むと、彼は黙って席を立った。
「船長? どちらに行くんで?」
「少し一人にさせてくれ」
——また始まった。
——うちの船長は剣の腕こそ一流だが、付き合いが悪いのはどうにもいただけねえ。
——海軍くずれが。
 乗組員たちは声を潜めて囁きあったが、シャドウはそれを無視して独りで船首へと向かった。 
 月明かりの下では暗く、広大な海がどこまでも広がっている。彼は空になった酒樽の上へと腰掛けると、ワインボトルを開けて一息に飲み干した。
 酩酊感が頭を揺さぶる中、ヴァイオリンの蠱惑的な音色が鼓膜を震わせる。官能的な旋律は船乗りを破滅へと導くセイレーンの歌声そのものだ。意識が焼け付くように熱くなる中で、彼の思考はいまや遠く過ぎ去った日々へと漕ぎ出していった。



続いた。(2024.12.2)

 ヴァイオリンの演奏が終わると、拍手と喝采がシャドウを包んだ。ゆっくりと瞼を開ければ、きらびやかなシャンデリアの下で貴婦人や紳士たちが微笑み、幼い少年がきらきらとした瞳で彼を見つめている。自分が注目の的になっていることが途端に恥ずかしくなったのか、シャドウはぎこちなく一礼すると、足早に壇上から降りようとした。しかしバランスを崩して転びそうになったところをばっちりと見ていたらしく、一人の女性がくすくすと笑っている。彼女こそがこのパーティの主催者、そして館の主、また彼の幼馴染でもあるルージュ、その人だった。
「本当、大したものね」
「……お褒めに預かり光栄です。このような立派な宴に招待していただき感謝しております、公爵夫人」
 言葉こそ丁寧だが、至極棒読みな上に表情は仏頂面だ。不機嫌なことを隠そうともしないシャドウに、ルージュはとうとう吹き出してしまった。
「まったく。いい加減、僕じゃなくてプロの演奏家を呼んだらどうなんだ。金なら腐るほどあるんだろう?」
「固いこと言わないでよ。それに、アタシはアンタの腕前を買ってるんだから」
「ところで、公爵はどちらに?」
「うちの人ならお客様の相手で忙しいみたいよ、ほら」
 彼女が指差した先には、シャンパンを片手に要人たちと談笑している公爵の姿があった。
「あの調子だと、まだまだかかりそうね。挨拶は後回しでもいいんじゃない? 私もアンタに話したいことがあるし。ちょっとついてきてちょうだい」
 ルージュは手招きをすると、シャドウを館の外へと誘いだした。柔らかな絨毯を敷いた廊下を通り抜け、硝子張りの扉をくぐった先にある庭園の入り口には、全身を甲冑で覆った大柄の衛兵が佇んでいた。所々擦り傷やへこみ、錆が目立つ鎧は、午後の淡い木漏れ日を受けて鈍色に光っている。
「オメガったら……こんなときまで仕事熱心ね。少しは休みなさいな。あっちにおいしいサンドイッチや紅茶がたくさん用意してあるのよ。いかが?」
「私ニハ不要ダ。任務ヲ続行、侵入者ハ徹底的ニ排除スル。引キ続キ警備ニアタル」
 必要最小限の単語が鉄の塊に反響する。バイザーを下ろした兜の奥で、彼はどんな表情をしているのだろうか。
「はいはい。お勤め、いつもご苦労さま」
 ルージュが彼に手を振ると、オメガと呼ばれた衛兵はかすかに会釈をした。
「彼も相変わらずだな」
「でしょ? うちのメイドたちなんて『騎士の幽霊が鎧に憑りついて歩き回ってる』だなんて噂してるのよ」
 庭園は隅々まで手入れが行き届いており、季節の花々や薔薇で溢れている。時折小鳥のさえずりが聴こえる中、二人は歩きながら昔話を続けた。
「子どもの頃、よくここでかくれんぼしたり追いかけっこしたわよね。覚えてる?」
「もちろん。僕のことをふざけて噴水に突き落としてくれたのは一生忘れないぞ」
「ウフフ、こわいこわい。……そういえば、まだアレ持ってるの?」
「ああ、このコンパスのことか?」
 胸元のポケットから出てきたそれは、コンパスというよりは黄金で出来た天球儀に近かった。精巧な幾何学模様の細工が施されており、ごく小さな宝石が七つもはめ込まれている。その輝きは例えるならば、太陽と虹といったところだろう。
「いつ見ても綺麗よねえ」
「やらないぞ」
「ちょっと。『欲しい』だなんてひとことも言ってないでしょ」
「ふん、どうだかな」
 美と知性に恵まれ、溢れるほどの富や宝石をほしいままにしている彼女でさえ手に入れられないもの――それがこのコンパスだった。
「で、いったいコレが何なのかっていう調べはついたの?」
「つくわけないだろう。あちこちの古物商に聞きまわっているがさっぱりだ。それに……彼にさえ分からなかった謎なんだ。誰にも分かるはずがない。……いや、分かってたまるものか」
 シャドウは遠い目をしてコンパスを見つめると、そっとポケットへとしまい込んだ。
「そういえば話したいこととは何だ? まさかコンパスのことじゃないだろう」
「もちろん。あんたの今度の遠征についてよ」
「それがどうしたんだ」
「いまやアンタは若くしてこの国の英雄だわ。地位と名誉をやっかんでる奴らが大勢いるの」
 ルージュの眼差しと言葉には、冗談めいたものは一切なかった。
「何を今更。知れたことだ」
「いいから。奴らは本気よ。どうやら近々新しい天文学者が国にやってくるそうなのよ。間違いなく、何かが裏で動いてる」
「天文学者?」
「そうよ。あなたの育ての親と同じ、ね。……だけど、これがまたすっごく変人で、胡散臭い男なんだって。……あたし心配なのよ。柄にもないでしょうけど。だって……」
「誰が相手であろうと、僕は戦うまでだ」
 シャドウの声は凛として、自信に満ち溢れていた。いつもと同じように。
「そう……そうよね。アンタはそういうやつだったわね。ほら、見せるものがあるからこっちに来てちょうだい」
 ルージュが案内した先には、色とりどりのチューリップが咲き誇る花壇があった。
「これは……また……」
 さすがのシャドウも、この光景には息を呑んだ。——二つの意味で。
「……一体いくら使ったんだ?」
「ちょっと! 今はお金のことは言いっこなし!」
 咲いている数はざっと見ても数十本はある。各地の収集家や資産家、そして一獲千金を狙う庶民まで、誰もが喉から手が出るほど欲しがるチューリップの値段は、考えるだけで気が遠くなる。それでも、可憐に揺れる異国の花は確かに美しかった。
「ね、あれを見て。誰かさんにそっくりじゃなくて?」
 いたずらっぽくウィンクをしたルージュが指差しているのは、ほのかに赤いラインが混じっている黒いチューリップだ。
「うちの庭師が植えてくれたのよ。アンタのために、ね」
「ルージュ」
「私だけじゃない。みんなアンタのこと心配してるわ。うちの主人も、オメガもよ。くれぐれも用心なさい。……必ず、無事に帰って来てね」
 シャドウは静かに、しかし力強く頷いた。



チームダークの面子を出せて嬉しい! オメガは最初どうやって出すか頭抱えてたけどね! 中の人がいるかいないかは今のところご想像にお任せします。まだ受けが出てくるのだいぶ先なんだけどもうちょっとだけ付き合ってください(懇願)(2024.12.9)

「提督!」
「ご苦労。現状を報告してくれ」
「はっ、現在アーク号、エクソダス号、ジェネシス号の三隻あわせて負傷者は五十二名とのことです。ただ、みな命に別状はありません。船にも多少の損傷は見られますが、本国に帰還すれば修復が可能な範囲です」
 遠征の任務はあっけなく終わった。海軍たちは貿易ルートを荒らしていた海賊たちを拘束し、船内に設けられた牢の中へと連行していく。物資の消費や損耗も、当初の想定よりもずっと少なかった。兵士たちが互いの戦果を褒め称え、意気揚々と帰還の準備を始めている中、まだあどけなさの残る下士官がシャドウに報告を進めている。ただ、その声は若干上擦っていた。どうやら憧れの提督を目の前にして体が固くなっているようだ。
「なに、そんなに緊張しなくてもいい。君の働きぶりは見事だったと上官にも伝えておく。これからもよろしく頼んだぞ」
「は、はい!」
 シャドウの激励に、年若い下士官はいよいよ恐縮した。彼の顔が赤くなるのを見て友人たちは囃し立て、年配の兵士は目を細めている。
「かわいいものですな」
「ああ。彼を見ていると、入隊したばかりの頃を思い出す」
「ははは、お懐かしい! そんな時もございましたな。あのやんちゃで負けん気の強い少年が、随分と立派になられたものだ」
「僕一人の力じゃないさ。辛抱強く支えてくれた皆、そしてこの船のおかげだ」
「アーク号……。たしか貴方のお父上、ジェラルド氏の設計でしたな。天文学だけでなく、あらゆる知識に精通した天才……。この船も半世紀前に建造されたというのにいまだ現役とは、驚くばかりです」
「この船は父の最高傑作の一つなんだ。いつも誇らしげに語っていたよ。さっきの言葉を聞いたらさぞ喜んだことだろう」
「たしかジェラルド氏は……」
「亡くなった。ここから遠く離れていた地で療養生活を送っていたが……体が弱っていた上、高齢だったからな」
——そう、「療養生活」だった。表向きは。しかしその実態は——。
「……さて、そろそろ昔話も終わりにしよう。持ち場へ戻ってくれ」
「承知いたしました。では提督、また後ほど」
 老いた兵士は深々と一礼すると、部下たちの待つ士官室へと降りていく。そんな彼の背中を、シャドウも微笑みながら見送った。束の間の休息、穏やかなひととき。しかしそんなアーク号の様子を、忌々しそうに見つめている者たちがいた。シャドウを疎んじている提督、及び将校たちだ。並走する戦艦、エクソダス号の一室で、彼らは互いを罵りあっていた。
「くそ、こんなはずでは……!」
「話が違うではないか!」
「何を! それもこれも、貴殿らが海賊どもの口車に乗ったせいであろう! ええい、一体どうすれば……!」
 今回の遠征も、もとはといえば彼らの申し出によって計画されたものだった。貿易ルートで略奪行為をしている悪党どもを取り締まるため——というのは建前に過ぎない。彼らは莫大な報酬を約束した上で海賊たちと取引を行い、戦いのどさくさに紛れてシャドウを暗殺するつもりだったのだ。だがその野望は脆くも崩れ去った。このまま国に戻ったとして、捕虜になった海賊たちが口を割ったが最後、自分たちの立場が危うくなるかもしれない。失脚するだけならまだしも、最悪の場合は非公開での軍法会議、そして絞首台送りだ。
 海の上で醜い陰謀が渦巻く中、一人の伝令兵がシャドウの元に駆け寄ってきた。
「どうした? そんなに慌てて……」
「て、提督! あれをご覧ください!」
 彼の指差す方向を見ると、水平線の向こうから一隻の船が向かってきていた。新手だろうか。伝令兵から受け取った双眼鏡を覗くと、そこに映っていたのは漆黒のガレオン船だった。はためく帆には何かのシンボルマークなのか、巨大な眼が描かれており、異様な雰囲気を醸し出している。
「……何だ、あれは?」
 シャドウの背筋に悪寒が走った。帆に描かれた眼が、彼を品定めするかのようにじっと見ている気がしたのだ。思わず双眼鏡を取り落とすと、乾いた音を立ててガラスの破片が甲板に飛び散った。
「ブラックドゥーム号だ」
 縛り上げられている捕虜の一人が呟いた。
「ブラックドゥーム号?」
「この海域にいる者なら誰でも知っている、恐ろしい海賊船さ。あいつらに出会ったが運の尽き。金も、宝も、女も、そして命も……、ぶんどれるものは全部ぶんどっていくって噂だ。かろうじて戻ってきたやつも、口がきけなくなったり、気が触れたりでろくな死に方をしなかった。間違いねえ、あの船は呪われてるんだ。……あんたらも命が惜しければ今すぐ出発しろ。この船なら振り切れるはずだ」
「提督、いかがいたしますか?」
「海賊どもの話など、信用できるのでしょうか?」
 シャドウは胸騒ぎがした。今まで戦ってきた連中とはわけが違う——彼の直感がそう訴えているからだ。だが並行して進むエクソダス号、そしてジェネシス号からは「迎撃準備」を伝える旗と狼煙が上がっていた。 こちらの三隻に対して敵はたった一隻。確かに数の上ではシャドウたち海軍に分がある。負傷者が出ているとはいえ、船団にもまだ余力が残っていた。しかし決して万全とは言えない。
「……兵たちにも疲れが出ている。ここは一度本国に戻り、体勢を立て直した方が賢明だろう。『即時撤退を』と他の艦にも伝えてくれ。今すぐにだ!」
「はっ!」  
こうしている間にも、ブラックドゥーム号の影は刻一刻と彼らに迫っている。先ほど見えた船の規模から推測して、性能や速度はアーク号と同等、いやもしくは——。
「お待たせいたしました、提督」
「どうだった? 返答は?」
「そ、それが……。『貴様ごとき青二才が我々に意見をするとはおこがましい。それとも海賊どもを前に臆したのか』と……」
 伝令兵の拳は恥辱で震えている。部下たちもみな悔しさに歯噛みしていた。
「あいつら、おれ達の提督を臆病者呼ばわりだと……?」
「所詮、金と家柄で成り上がった分際でよくも……。恥を知れってんだ!」
 口々に沸き上がる怒りと不満。しかし他の提督たちや将校と比較しても、シャドウはまだ経験が浅いことは事実だった。こう言われては引き下がるほかない。彼は努めて冷静に指示を出した。
「……敵はあくまで海賊どもだ。口を慎んで配置につけ。ここが正念場だ。僕の合図で砲撃を開始してくれ」
「了解!」
 シャドウが率いる部隊が戦闘に備える中で、エクソダス号に控えている将校たちは密かにほくそ笑んでいた。
「どうやら、天は我々に味方しているようですな」
「その通り。せいぜい奴には頑張ってもらおうではないか」
「さて、一足先に我々の勝利に乾杯をするとしよう」
 ワイングラスの音が鳴るとともに、戦いの火蓋は切って落とされた。



多分次の次くらいでナックルズ出てくるのでもうちょい待っててください。自分で書いといて気の長い話だわ……。私も早く二人のイチャイチャが見たいです(本音)(2024.12.16)

☆5



※重要なキャラクターが死亡するシーンを含みます。

 ブラックドゥーム号。海原を彷徨う死神。船乗りたちの悪夢。砲撃にも怯むことなく波間を突き進む様は、この世のものとは俄かに信じがたかった。
「奴ら、こちらに向かってきます!」
「上等だ」
 シャドウは冷静だった。頭を低くしてマスケット銃へと弾を込めると、狙いを定め、そして撃つ。その姿はまさに魔弾の射手。ブレと反動、そして風向き。すべてを計算に入れた上で放たれる正確無比な射撃が、敵の肩を穿つ。
「やったぞ!」
「我々も提督に続け!」
 敵船との距離は徐々に縮まっていく。ブラックドゥーム号の乗組員たちは鉤縄を投げたり梯子をかけたりして、早くもアーク号への侵入を試みていた。大砲の音が響き渡り、弾丸が飛び交い、頬のすぐ横を掠めていく。戦いの指揮を執るシャドウの視界の端で、味方の兵士たちが次々と倒れていった。一進一退の攻防が続く。
 しかし、混沌とした状況の最中、アーク号の乗組員たちは異変に気付いた。彼らを残し、あとの二隻が次第に離れていくのだ。
「何が起こっているんだ? 撤退の合図も無しに……」
「どうして離れていくんだ?」
「まさか俺達を……見捨てるつもりなのか?」
 兵士たちにざわめきと不安が広がっていく。シャドウの頭には遠征に旅立つ前、ルージュから受けた警告が聞こえてきた。
——いまやアンタは若くしてこの国の英雄だわ。地位と名誉をやっかんでる奴らが大勢いるの。間違いなく、何かが裏で動いてる。
「……どこまで腐ってやがる!」
 彼は気付いた。この遠征そのものが最初から仕組まれていた罠だったのだと。撤退をしようにもアーク号の前にはブラックドゥーム号の巨大な船体が立ちはだかり、進路を遮っている。しかしここで怒りに呑まれては敵の、ひいては将校たちの思う壺だった。今、アーク号の命運は彼の肩にかかっている。生き残るには戦うしかない。
「諦めるな、みな剣を取れ! これは命令だ。全員、必ず生きて帰還するんだ!」
 彼は必死に部下たちを鼓舞した。若き提督の勇姿に、部下たちの瞳から消えかけていた火が、再び灯り始める。それでも陽が傾くにつれ、次第に兵士たちには疲弊の色が濃くなり始め、戦況は悪化するばかりだった。ある者は海に落ちて血の臭いに飢えたサメの餌となり、またある者は海賊たちの手にかかる前に自決した。ふと周りを見渡せば、アーク号の甲板にはいくつもの死体が転がっており——残っているのはシャドウ、ただ一人だけだった。
「あ……、あ、ああ……」
 彼の前であどけない笑顔を見せていた下士官も、数多の戦場を共にした年配の兵士も、血だまりの中で横たわっている。みな死んだ。死んだのだ。
 凄惨な光景を目の当たりにしたシャドウは激昂した。雄叫びを上げ、ブラックドゥーム号へと乗り込んでいく。
「おい見ろ! 英雄気取りのバカがのこのこやってきやがった!」
「こいつはおもしれえ、歓迎してやろうじゃねえか!」
 提督を討ち取ろうと、屈強な男たちが我先にとシャドウへと襲い掛かる。しかし彼の華麗な剣捌きに敵う者はいない。右手でレイピアを振るい、左手で拳銃を撃つ。敵の懐に入り込んで眼を串刺しにすれば、相手は耐え難い痛みに絶叫を上げた。たった一人だというのに、シャドウは大勢と互角に渡り合うどころか、圧倒する勢いだ。次々と敵を切り捨てては、眉間に銃弾を撃ち込み、確実に息の根を止めていく。
「畜生、なんだこいつは!」
「冗談じゃねえ、強すぎる! 化け物だ!」
「やめろ、お前ら下がれ! 死にたくなけりゃあ、不用意に近付くな!」
 最初はシャドウを侮っていたブラックドゥーム号の乗組員たちも、その力と気迫に次第に慄き始めていた。彼が一歩進むたびに甲板の床が微かに軋み、レイピアの切先からはぽたぽたと血が滴り落ちる。船員たちはシャドウの姿を睨みながらも、じりじりと後ろに引き下がった。
「……次は誰が相手だ?」
「私だ」
 しわがれた声に、ブラックドゥーム号の船員たちが顔を上げる。彼らの視線の先には、左目に傷跡がある、薄墨色の毛皮を持つハリネズミが佇んでいた。擦り切れた外套とスカーフ。革のブーツ。純白の羽飾りの付いた臙脂色の帽子。そして何より、この場を支配する絶対的な威圧感。彼こそがこの呪われた船を統べる船長に違いなかった。
「それとも、年寄りが相手ではご不満かな? 提督殿」
「……いいだろう。お望み通り地獄に送ってやる」
「それでこそ。見上げた闘志だ。貴殿のような者こそ、この船の後継者に相応しいかもしれんな」
 男の言葉に、乗組員たちからはどよめきが上がった。
「船長! そいつは……」
「手出しは無用だ。彼と私の一騎打ちとしよう。互いの命と、この船を賭けてな」
 ブラックドゥーム号の船長が、腰の鞘からカトラスを抜く。船員たちはいっせいに頭を垂れて、彼が通る道を空けた。シャドウと年老いた船長とが互いに向かい合い、甲板には緊張が走る。ゆっくりと沈みゆく夕陽が、彼らを照らしていた。
 先に仕掛けたのはシャドウの方だ。剣と剣とが激しくぶつかり合い、火花が散る。
「は、ははは! 貴様の太刀筋は、はるか昔に私が闘った男にそっくりだ。まさに生き写しよ! だが彼は最期まで非情になりきれず、海の藻屑と消えた。さて、貴様はどうだ? 若僧」
「黙れ!」
「怒り! 憎しみ! 力! まさに我がブラックドゥームが探し求めていた者! 私を討ち取ってみよ、さればこの船と全てをやろう!」
「ぐっ……!」
 強烈な一撃にレイピアが折れ、剣の先が放物線を描いて飛んでいく。使い物にならない剣を捨て、シャドウはすぐさま拳銃を構えた。しかし手応えはなく、撃鉄がカチリと音を立てる。弾切れだった。目深に被った帽子の下で、船長の口がにやりと笑う。
「おやおや。随分と迂闊だな、提督殿。どうやら私は貴様を買い被り過ぎていたようだ」
「くそっ!」
 勝敗の行方を見守っている乗組員たちからは、船長を賛辞する歓声と、シャドウの死を望む野次とが上がる。
——殺せ。殺せ。殺せ。
 もはや、誰が見ても絶体絶命だった。しかしシャドウはまだ諦めていない。船長がとどめを刺すべく剣を振りかざした、まさにその瞬間、彼の目は足元の死体の側に転がっていたカトラスを捉えていた。
「これで……」
「終わりだ!」
 間一髪でシャドウが奪い取ったカトラスが、船長の喉笛を切り裂いた。彼が首に巻いていたスカーフが、鮮血で赤く染まっていく。最期の瞬間、唇がかすかに動いていたが、それが言葉になることはなかった。老いたハリネズミの体は崩れ落ち、甲板は静寂に包まれる。船員たちはまさかの幕切れに息を呑んだが、やがて戦意を喪失したように剣を取り落とした。
「……最初の命令だ。さっさとその目障りな死体を片付けろ」

***

 いつの間にか眠っていたようだった。柔らかな朝日がシャドウの瞼に差し込んでいる。頭が酷く痛み、喉は渇いて焼け付くほどだ。この船を手にして、自分と部下を裏切った将校たちに復讐を誓ってから、どれだけの月日が経ったのだろうか。ついこの間のような気もすれば、もう何百年も経っている気さえした。
 きらめく水面をぼんやりと見つめながら、シャドウは胸ポケットからコンパスを取り出した。決して北を指さないコンパス。役立たずの遺物。まるで自分のようだと思いながらも、彼にはコンパスを捨てることは出来なかった。たった一つ残された、家族との絆、思い出の品だからだ。
「……マリア……」
——闇はどこまで行っても闇だけど、影は光の指す方向を教えてくれるわ。
 まだ幼かった頃、優しく語りかけてくれた声が、シャドウの耳の奥にこだまする。
「教えてくれ……。光は……光はどこにあるんだろう……」
 シャドウの震える手が、コンパスを固く握り締める。太陽は今まさに燦然と輝いているのに、彼の心はどこまでも暗く閉ざされていた。



イベント挟んだのもあったけど、前回の更新から随分と時間が経ってしまった。次でようやくナックルズ出てくるはずです。お楽しみに。(2025.3.16)