食事を終えて席を立つ若い女性2人に声をかけ、会計をする。 高校生だった頃に財前葵から、そんな顔してるとお客さんが逃げるわよ―、なんて言われたこともあったが、 苦手だった接客も、克服しようという努力の甲斐もあって最近は少しずつ慣れてきているし、 草薙さんから任される仕事は店の手伝いを始めた当初よりも随分と多くなったと思う。
そろそろ上がりの時間だ。最後にこのテーブルを片付けてから帰り支度をしよう、そう思った時。
「あ」
ポツン、と鼻先に冷たいものが当たったかと思うと、それを皮切りに次々と雨粒が空から零れ落ちてくる。
「ヤバ!降ってきちゃった」
「ごちそうさまでしたぁ」
女性客の1人がカバンから慌てて折畳み傘を取り出し、広げる。 先ほどから様子を見ていたが、よほど仲がいいのだろう。2人で入るには少し狭いだろうに、 小さく可愛らしい花柄の傘の中で彼女たちは楽しそうにはしゃぎながら店を後にした。
梅雨時なんだから、俺も傘くらい持って出ればよかったな。迂闊だった。 後悔してもしかたがない。走って帰るしかないか。幸い今のところそこまで強い雨ではないみたいだ。 テーブルを手早く片し、草薙さんに声をかけてから帰ろう。 あまり服が濡れないうちにプレートを下げ、テーブルを拭いて消毒を済ませる。
「草薙さん、片づけが終わった。これから帰るよ」
「おっ!お疲れ……っておい!ちょっと待て遊作!お前傘持ってきてないのか?」
「ない。けど走って帰るから大丈夫だ。上着もあるし」
「おいおい、大丈夫じゃないだろ!ちょっと待ってろ!」
慌てた様子の草薙さんがバンの奥に引っ込んだかと思うと、
「ホラ、この白いやつ。差してけよ」
俺の手に半ば押しつけるようにして、ギュッと傘を握らせた。
「お客さんが忘れてったやつなんだけど、もう随分前からこういうコンビニで 買ったようなビニール傘とか何本も店に置いてあるだろ。正直、取りに来る気配もないからさ」
「でも……いいのか?」
「いいよいいよ。今日1日、1本くらいなら大丈夫だろ」
第一、大事なバイトに風邪引かれても困るしな、と草薙さんは白い歯を見せてニッと笑う。
「ありがとう草薙さん、今度返すよ」
「気をつけて帰れよ。じゃ、お疲れ様」
「雨降ってると、いつにも増して客が少ねえから今日は早めに店じまいかな〜草薙は」
「いつにも増して、は余計だろう」
先程貸してもらった白い傘を広げ、Aiと話しながら家路につく。以前のように、デュエルディスクにAiを入れて店まで連れて行くことは すっかりバイトに向かう際の習慣になってしまっていた。
「……草薙さん、そういえば去年も梅雨時はあまり売れ行きが良くないと悩んでいたな」
「まあでも今年は草薙、デンシティの夏祭りに店出すんだろ?もし今月がダメでも来月があるじゃん」
「今月がダメでも来月、か……」
そういえば了見とは現実でもLVでも、今月どころか先月も、先々月も会っていない。 ちょうど3か月ほど前、卒業式の前にデートしたのが最後なんじゃないだろうか。
4月を迎える前に満開になるだろう桜を了見と見たくて、花見に行く約束をしていた。 明日は絶好のお花見日和-だなどと言っていた前日の天気予報も虚しく、生憎朝からしとしとと予報外れの雨が降りしきった。 その日は結局花見は諦めて予定を変更し、俺の部屋を訪れた了見と珈琲を飲みながら映画を見たり、冷蔵庫にあるもので 料理をするなどしてゆっくりと過ごした。
そして、その夜は……。
たかが3ヶ月だというのに、あの日からもう随分と経った気がする。 大学生活も始まり、草薙さんの店での手伝いも続けているし、Aiなりの懸命なサポートもあってロボッピのデータ復元もやっと 目処が立った。ようやく手に入った、大切な人々との穏やかで幸福な生活。もう充分に満たされているはずなのに、 それでもふと気づくとアイツのことばかり考えている。俺は自分が思っているよりもっと、ずっと欲深いのかもしれない。 了見がこちらに戻るのはいつになるのだろう。来月?それとも再来月? ……俺は、今すぐにでも会いたいというのに。
「と思う遊作であった」
「……なんだ、急に」
「なんだじゃねーよぉ、俺と仲良くお話してたのに急にポーッとしちゃってさあ。どーせアイツのこと考えてんでしょ~、って思ったの」
「まあ、そうだな」
Aiの言う通りだった。俺と了見は幾度もお互いの想いを伝えあい、信頼しているはずなのに、時々少しだけ不安になる。 本当はもっとアイツの傍にいたい。共に生きたい。同じ時間を過ごしていたい。
俺はそう強く望んでいるが、了見はどうなのだろう。
「……了見?」
俺の想いが天に通じたのか、そうでなければアイツのことが恋しいあまりに幻覚でも見ているだろうのか。 遠くに緋色の傘を差し、深い藍色の着物を纏う青年の姿。一瞬自分の目を疑ったが、確かに了見だ。 しかし、戻ってきたという連絡は今朝まで無かったはずだ。このところは毎朝了見から何かしらのメッセージが 来ていないか確認しているから、それは間違いない。 距離が大分離れているためか、こちらには気づいていないようだが、一体どこに行くのだろうか。
「了見!」
思い切り叫んでみるが、ここからではやはり聞こえないようだった。そのまま交差点に差し掛かると、 色とりどりの傘の群れに紛れ、背中はどんどん小さくなっていく。
「アララ、行っちゃったよ。おい遊作、追いかけなくていいのかよ」
気になるんだろ?とAiは小首を傾げてこちらを見上げてくる。
「さっきまであんな会いたがってたじゃん!」
「いや、もちろん気にかかるが……なぜ俺に戻ってきたことを黙っていたんだろう」
「んん〜。ムムム。あ!分かった!」
「何がだ」
「もしかして浮気でもしてんじゃないの?!なーんかアイツ、おめかしなんかしちゃってさー。見たろ~?」
「アイツに限ってそんなことはない!」
「ヒェッ」
思いがけず大声が出てしまった。Aiも驚いたのか、飛び上がって素っ頓狂な声を上げるが、 すぐにこちらをじとっと睨みつけてくる。
「……ちょっと遊作ちゃん、声でっかい」
言われてみれば、周りの人々がちらちらと危ないモノでも見るかのように俺たちの様子を窺っているようで、なんだか気まずくなる。 ひとまずその場を離れるべく了見の歩いていった交差点まで来ると、Aiが何かに気づいたのか声を上げる。
「あ、この近く、デンシティじゃ珍しい古い寺があるんだよな。ひょっとしてそこじゃねーの?何しに行ったんだか」
「……寺?」
「あ、知らないの?マジでオンボロなんだけどさ、今はちょうど紫陽花が見頃で隠れた名所なの。これAiちゃんの㊙情報ね」
初耳だ。ここに住んでもうそれなりに長いはずだが。コイツまた適当なこと言ってるんじゃないだろうな。
「あー!信用できないって顔してる!ホントだって!俺が前にこの目で空からバッチリ見たんだからさ!」
「ああ、そういえば昔お前のせいで一時期デュエルディスクがドローンもどきに改造されたこともあったな……すっかり忘れていた」
とにかく向かってみる価値はありそうだ。俺たちの意見は一致し、Aiの提案通りにその寺へと向かうことになった。
石段を登り辿り着いた先は、Ai曰く紫陽花の名所だという割にはまるで人気がない。廃寺ではないようだが、ここだけが遠い昔に 取り残され、そのまま過去の時空に閉じ込められたかのようだ。辺りには降り続く雨がぱらぱらと紫陽花の葉に当たる音が 静かに響いている。なにしろAiの言うことなので話半分に聞いていたが、名所は名所でも「隠れた」、というのは案外本当なのかも しれない。青や赤紫の大輪の花々に囲まれて彩られた小さな門は、さながら異世界への入り口だ。
門を通りゆっくりと歩き出すが、右も左も、まるで合わせ鏡のようにどこまでも色鮮やかな紫陽花が続く景色に惑わされそうになる。 この花の迷路を抜けた先に、了見がいるのだろうか。教えてくれないか。傍にひっそりと咲いていた、雪のように白く可憐な紫陽花に 彼を思い出し心の中で問いかけてみると、風に揺られて小さく頷いたように見えた。
とにかく、歩き出さないことには何も始まらない。意を決して奥に踏み出していく。何かに導かれるように歩みを進めていくと、 寺の庭だろうか、やや開けた場所に出る。
果たしてそこに探し求めていた恋人の姿はあった。小雨が降りしきり、見事に咲き誇る紫陽花の中で緋色の傘を手に佇む了見。 無地の深い藍色の着物は、一層了見の飾らない美しさを引き立たせている。どこか現実離れした絵画のような光景に言葉を失い 見惚れていると、不意に彼方から鈍い音が響き渡る。
鐘だ。俺の意識が一気に現実へと引き戻されるのと同時に了見も弾かれた様に顔を上げ、お互いの目が合った。
「遊作」
「君が、何故ここへ」
「バイトから帰る途中でお前の姿を見かけたんだ。いつ戻ってきたんだ」
戸惑いを隠せない了見のもとに静かに歩み寄り、問いかける。
「……数日前だ」
「戻ってきているなら連絡してくれ、俺は……いつだってお前に会いたいし、……ずっと待っていたんだ」
「……すまない」
「いいんだ、怒っているわけじゃない。そんなに暗い顔をしなくてもいい。……ところで、その着物どうしたんだ」
「これは、その」
俯く了見を見て焦った俺は話題を変えようとしたが、何が悪かったのか、それきりますます言葉に詰まり口を閉ざしてしまった。 彷徨う視線、答えることを躊躇うその様子に、もしや、と思う。
「鴻上博士のものなのか」
「……君にはいくら隠し事をしたところで無駄だったな」
自嘲するかのように力なく笑い、溜息をつく。
「先日、自宅で父のものを整理してたら出てきたんだ。まだ私が幼い頃、梅雨時になると 父はこの着物を身に着けて、この寺まで紫陽花を見に私を連れたものだった」
遠い記憶に想いを馳せているのか、まるで幼子のように手でくるくると傘を回して弄びながら、了見は言葉を続ける。
「父はよく研究の合間を縫って、私とそうして共に過ごす時間を設けてくれていた。 都会の喧騒とは離れたこの場所を、私も父も愛していたんだ」
了見の指先が一際大きく咲く、真っ青な紫陽花へと伸びる。そっと葉に触れると雫が一筋、涙のようにつっと流れて落ちた。
「父との思い出が残ったこの品を処分してしまうのが忍びなくて、つい袖を通してみたんだ。……鏡に映った自分の姿に、父が重なったよ」
傘の影に隠れて表情は窺えないが、声が少し震えていた。
「父のこの着物を着て、もう一度ここを訪れてみたくなったんだ。幼い頃、毎年父とそうしていたように」
了見は決して鴻上博士のことを忘れることなどない。心から愛する大切な家族だからだ。 けれどもそれを、ロスト事件の被害者である俺の前ではもう見せるまいと思っていたのだろう。 人々の間に生まれる絆や繋がりをお前が人一倍大切にしているのは、あのSoulburnerとの お互いの全てを出しきった、燃え尽きるかのようなデュエルを見届けた俺ならば分かっている。
馬鹿だな、了見。責めたりなどしないというのに。
「遊作?……っ!おい、待っ……んっ」
心ここにあらず、という様子の了見に、不意をついてキスをした。 ひんやりとした空気に包まれる中で、了見の柔らかい唇はより一層あたたかく感じる。 了見は最初こそ照れているのか、俺の身体を引き剥がそうと僅かに抵抗を見せたが、やがて 甘い吐息と共に身を任せたようだった。久しくしていなかった恋人との甘く睦みあう口づけ。俺たちはしばし夢中になった。
「……遊作。ここ外だぞ……」
「満更でもなかっただろう。どうせ周りに俺たちの他に人もいないし、傘に隠れて見えないさ」
「こら、開き直るな。大体場所を考えろ。この罰当たり者」
先ほどまでの空気も何処へやら、キスが終わった途端、了見の小言が始まった。 よかった。お前に泣いている顔なんて、俺の前でさせたくないからな。
「おい、聞いてるのか遊作。……何をニコニコ笑ってるんだ、全く」
「別に。ただ……、今度その着物に袖を通す時に、俺のことも思い出せるようにしてやりたかったんだ。どうしても」
その言葉に了見はハッとしたように目を見開き、頬が俄かに赤くなる。
「嫌か?」
「……そんなことは、ない」
「了見……。その着物、本当に似合っている。綺麗だ」
外にずっといるからか、少し冷えてしまった了見の手を取り見つめ合った、その時。
「もしもぉーし!お2人さん俺がいることわすれてな~い?!」
デュエルディスクから自己主張の激しい声が飛び出してくる。
「や、闇のイグニス……」
「相っ変わらず見せつけてくれるねぇ~、このこの」
了見とAiのやり取りを眺めながら、大地に優しく降り注ぐ雨が染み渡るかのように心が満たされていく、そんな気がした。
「そういえば俺は着物や浴衣なんて自分で着たことがないんだ。了見、今度教えてくれるか」
「言われなくても。きっと似合うぞ。男前になる」
「あーん!ちょっと無視しないでよぉ!」
「夏祭りが来月あって、草薙さんも店を出すんだ。その時にまた絶対に帰ってきてくれ。約束だ」
俺はこれから、お前とのこんな他愛もない、けれど忘れられない思い出を、たくさん作っていきたいんだ。
あとがき
もともと書いてたSSがどうにもうまくいかなくて季節など見直して書き直してた結果がこれ。なんか、書き始めの時は元々がほんと全然うまくいってなかっただけにやべえ天才的に萌えるシチュエーション出てきたわ って思ったんですけど、私の実力が萌えに追いついてなさ過ぎてなんか残念になってしまった。悲しい。
最初らへんの遊作の3月ごろの回想が具体的に言うと、実はボツSSの内容なんですよ。春に花見で書こうとしてたんだけど、 話の大半が雨のせいでおうちデートしてる内容で(夕方から晴れたから夜桜見に行くみたいな話だった)これ読んでて楽しいか……?! ってめちゃくちゃ疑問になって放置してた結果6月になってしまい、さすがにいくらなんでも花見の話もうやめて 花見は花見でも紫陽花見に行くとかにしない???って路線変更したんですけど。
なので完全にボツにはなってない。ちゃんと生きてるんですよ!虫の息だけど!!
これが思ったよりいい感じになったというか、紫陽花見に行くんだったら雨天でも外出るかも、となってあとは 場所を和っぽくしたかったので寺とかそこに合わせて着物着てくる了見くんというの考えたんだけど、着物わざわざ デートに合わせて着て来る了見くんもかわいいけど、レンタルとかじゃなくてこれもともと聖のとかにしたらどうだろって考えたら、 なんか、湿っぽくなりました……。
そして聖の形見の服着てる了見にちゅーする遊作のNTR感がヤバい。すみません。
ちなみに色々欲張ったけど活かしきれなかった名残として2人の傘が紅白でめでたい感じになっているとか、 あと紫陽花の花言葉は「家族」もあるみたいなので、無意識プロポーズする遊作と家族との思い出を作り続けていく了見みたいなのを 書きたかったですね。うまくいってませんね。悲しいね。まあ、書かないよりは書いた方がいいし、いつか気が向いたときに 好きなだけ書き直せるのがサイト掲載作品のいいとこなんで、そのうちサイレント追記修正するかもしれない。しないかもしれない。
そして遊作が最初に覚えるのはおそらく着付けじゃなくて脱がし方というオチつきだよ……。
タイトルはなんかめちゃくちゃな日本語感を出したかった。