A Sweet Secret Between the Vampires

 ある日の午後。天空に浮かぶ孤島、エンジェルアイランドに音も無く黒い影が降り立った。白く小さな箱を脇に抱えた彼は、そのまま島の中心部へと位置する祭壇へと歩みを進めていく。木々が紅葉し、色とりどりのキノコが草の陰から顔を出している様子は、少し遅い秋の訪れを感じさせた。
 祭壇のすぐ近くまで来た彼が階段の方を見上げると、そこには巨大な宝石の傍にいる守護者の姿があった。だが、なにやらいつもと様子が違う。背筋を伸ばして腕を組み、地平線をじっと見据えているはずの守護者が、下を向いて座り込んでいる。少し離れたところからでも分かるほど真剣な表情を見る限りでは、具合が悪いというわけでもなさそうだった。
 一体何をしているのだろうか。好奇心に駆られた彼は祭壇の裏に回って守護者の背後まで忍び寄ると、耳元にそっと囁いた。
「……大事な仕事をサボるとはあまり感心しないな、ナックルズ」
 突然至近距離から聞こえてきた声に、ナックルズは飛び上がるほど驚いた。
「シャドウ! 驚かせるんじゃねえよ! もうちょっとで……」
 彼の顔を見るなり、ナックルズは慌てて手に持っていた物を隠そうとしたのだが、もう遅い。拳に握っている錆びついた縫い針とくしゃくしゃの黄色い布を、シャドウの目はばっちりと捉えていた。
「なにも隠すことはないだろう。それは?」
「いや、その、こ、これはだな……」
 もごもごと口籠るナックルズだったが、ふと彼の腹の虫が大きく鳴った。ぐう、という気の抜けるような音。ナックルズの頬はかあっと熱くなり、シャドウは苦笑した。
「驚かせて悪かった」
 シャドウはナックルズの横に腰掛けると、抱えていた白い箱を差し出した。
「お詫びと言ってはなんだが……バターサンドをルージュから貰ったんだ。それもレーズンが入ってる。君の好物だっただろう?」
 照れ隠しのつもりなのか、彼はそっぽを向きながらもサンドイッチを受け取った。
「……しょうがねえな、こいつに免じて許してやらあ」
 祭壇にそよそよとした風が吹く中、二人はバターサンドを頬張り始めた。フルーツ、中でもブドウが大好物のナックルズは、じっくり味わって食べているようだ。澄み切った青空の下、祭壇には心地の良い沈黙が流れ、箱の中のバターサンドはひとつ、またひとつと消えていく。
「さっきの話の続きをしても?」
 先に口を開いたのはシャドウの方だった。最後の一個に手を伸ばそうとしていたナックルズの動きがぴたりと止まる。表情は硬く、明らかに動揺していた。
「教えてくれないのか? その布で何か作っていたんだろう。雑巾か?」
「はあ? お前これが雑巾に見えるのかよ?」
「なんだ、違うのか」
 思わずムキになって言い返したナックルズだったが、シャドウの反応を見て墓穴を掘ってしまったことに気付いたようだ。とうとう彼は観念したように溜息をつくと、「絶対に笑うんじゃねえぞ」と念を押した。
「……毎年、ハロウィンになるとステーションスクエアで祭りをやってるだろ。そこに着ていく衣装を作ろうとしてたんだよ。俺と、……お前の分も」
 意外な答えに、シャドウは「どういう風の吹き回しだ」と目を丸くした。
「ハロウィン? 君がか? 人ごみは嫌いだっただろう。それになぜ僕の分まで」
「それは……その……そうだけど……」
 ナックルズは時々どもりながら頭を掻き、その顔は次第に真っ赤になっていった。
「べ、別にいつもみたいにここで一日過ごすとか、夜中にお前とこっそり隠れて町に行ったりってのに不満があるわけじゃねえよ。そもそも、『付き合ってることはあいつらに内緒にしたい』ってのも俺が言い出したことだ。でも、たまにはお前と、恋人らしいことしたいっていうか……。そ、それにほら、仮装していけばあいつらにも見つからないだろ?」
 なんともいじらしく可愛らしいアイデアに、今度はシャドウの顔が赤くなった。それを悟られまいと彼は視線を逸らしたが、ふと祭壇の脇に積まれた布の山が目に入った。これだけの量を一体どこからかき集めてきたというのだろうか。
「……君の熱意は分かった。だが本当に一人で大丈夫か? それに型紙はあるのか?」
「かたがみ?」
 初めて耳にする言葉だったのか、ナックルズは眉を寄せると「なんだそれ」と首を傾げた。
――これでは先が思いやられる。シャドウは思わず天を仰いだ。目の前にいるハリモグラはやる気だけは満々のようだが、基本的なことを全く知らないのは明らかだった。
 こんなときに君がいてくれたら、とシャドウはマリアのことを思った。共にアークで暮らしていた頃、彼女はこの裁縫箱を使って色々なものを作っていた。ワンピースやスカートを縫ったり、お気に入りのぬいぐるみがほつれたときは自分の手で直したり。その様子を彼もそばで見ていたし、時には手伝いさえもした。裁縫についてはそれなりに知識があるつもりだ――少なくとも、ナックルズよりは。
「……僕もいっしょにやらせてもらおう。このままじゃ君のご自慢の拳が穴あきチーズみたいになっちまうからな」
「うるせえ、余計なお世話だっ……!」
 ムキになって叫んだ瞬間、思いっきり親指に針を刺してしまったのだろう。ナックルズの目尻に涙が浮かび、グローブの端にも血が滲んでいた。
「ほら、言わんこっちゃない」
「ぐぬぬ……」
 ナックルズはしばらく悔しそうに唇を噛んでいたが、シャドウが彼の親指を優しく擦っていると、やがて小さく頷いた。

***

 翌日、またシャドウはエンジェルアイランドへと足を運んだ。今度はコピーしてきた型紙をいくつかと、使い古した裁縫箱を持って。
「よう。遅かったじゃねえか」
「すまない。少々探し物をしていた」
 ナックルズは仏頂面だったが、尻尾はかすかに左右に揺れている。昨日あんなに意地を張っていた彼も、今日は目に見えてそわそわとしているようだ。
「まさか、またこれを使うことになるとはな」
 五十年ぶりに木製の裁縫箱を開くと、途端に懐かしい思い出が蘇る。大きな裁ちばさみに、ピンクやブルーのチャコペン、それに——。
「なーんかこいつ、お前にそっくりだな。見ろよ」
 ナックルズはハリネズミの形をしたピンクッションをニヤニヤしながら指差した。背中にはたくさんの針が刺さっており、まるで久々の出番を待っているようだ。そのうちの一つに糸を通しながら、シャドウは「マリアもよく同じことを言っていた」と返した。
「さて、作業を始める前に、まずは君の寸法を測ることにでもしよう」
「わ」
 シャドウは、箱の中からメジャーを出すと、ナックルズの腰に巻き付けた。それが終わると次は胸元、そして下半身へ。互いの肌と手とがそっと触れ合い、どきどきとした心臓の鼓動と温もりが伝わっていく。
「お前、さっきどさくさに紛れて変なとこ触っただろ」
「それはこっちの台詞だ。さっき僕の胸元を測る時に何をしてたかくらい知ってるぞ」
 じろりと睨まれたナックルズは「バレたか」とはにかむ。半ばいちゃつきながらも一通り寸法を測り終えた彼らは、次に衣装を作るための型紙を選び始めた。
「それで、何かアイデアはあるのか?」
「ああ、ハロウィンっつったら、吸血鬼とか、そういうのが定番なんだろ?」
「定番……と言ってもだな……」
 シャドウは昨日と同じように山積みになっている布の塊を見つめた。
 ナックルズ曰く、彼の祖先が大昔に交易で手に入れたものだとか、トレジャーハンターをする傍らで集めたものだという。しかし吸血鬼の衣装づくりに使えそうなものは限られているようだ。どれもこれも緑、黄色、赤、金などの明るく鮮やかな色合いで、エキゾチックな文様まで入っている。生き血に飢えた怪物を想起させる黒や紫などの暗い色はごく僅かで、作れたとしてもせいぜい一人分くらいだろう。シャドウの脳裏には、パッチワークのようにファンシーなマントを纏った、威厳の欠片もない吸血鬼の姿が思わず浮かんでしまう。さて、どうしたものか――そのときふと、名案が閃いた。
「吸血鬼と言えば……僕にいい考えがある」
「は?」
 ナックルズはきょとんとしてシャドウの顔を見つめた。



後編へ続く!